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音楽とは

最近、音楽とは?と考える。
いや、昔から音楽とは?と考え続けてはいた。

手話歌を見るとなんだかずれてるように思うのだ。
ソロで歌うのと多人数で歌うのとでも違う。

歌は音源なしでも「アカペラ」という歌い方が出来る。
乱暴に言えば「鼻歌」でもアカペラだ。

このことについて実際のバンド構成を基に考えてみようと思う。


レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
 


私がロックへのスタート地点になった、「レッド・ツェッペリン」
 


日本のグループでは好きなバンド「THE ALFEE」

好きなバンドを挙げていくとキリがないのでとりあえず上記の3つ。

ドラムが居てベースが居てギターが居てボーカルが居る…そんなバンド構成を皆さんも考えると思う。
どこかで楽器を演る人がボーカルを兼ねるときもある。

THE ALFEEはベース、ギター、ギターという構成だ。
もっともサポートメンバーとしてドラムなどが入る場合もあるが。

誤解されやすいのだが基本の4ピース構成の中にボーカルが居る。
即ち、ボーカルは声という楽器を使って演奏に加わるのだ。

どっかで勘違いしているやつ多いんだけど、楽器の3ピースはカラオケ音源ではない。
その演奏に声という楽器で参加するのがボーカル。

声楽というのがあるように、「声」だけで表現していく曲がある。
ちなみに楽器を使って表現していくのは「器楽」
声楽は人間の声だけで「楽器」となると言っていいだろう。

さて、手話歌の場合はどうなのか?
私は手話歌歌手はボーカルであると考えている。
声という楽器ではなく手の動きを楽器化していると思って欲しい。

ここで手話歌を演る人の多くが誤った考え方に陥る。
歌声に合わせて歌う人が非常に多い。
それは違う。

先述の4ピースバンドはドラムとベースがリズム隊だ。
ギターはメロディラインを担当すると思って欲しい。
ボーカルも同じだ。

と、なれば合わすべきは何の音か?
ドラムやベースに合わせるというのが正解。
それでやっとまともに歌えるということだ。

楽器を使う人にとって誰か別の楽器と一緒にやる時、
「気持ちが悪い」と思う瞬間がある。
音があっていないからだ。

手話歌の場合は声というのがあるためボーカルが2人いる感じと考える。
声のパートと手話のパートだ。
同じものをボーカルで表現する場合「ハモリ」が必要だ。
声が聞こえてから手話歌をスタートさせるとどうしてもずれる。
声は楽器のリズムに乗って発声しているのだが、手話はそれを視覚化して表現している。
ずれるということは手話という楽器がその音楽に合っていない。

私も聴こえには限度があるため、説明は難しい。
しかし、リズム隊の音を掴んだ上で見ると「ずれている」、「合っていない」と感じる。
即ち「見ていて気持ちが悪い」のだ。

恐らく歌として聞いていてもCD音源であるならばその歌声は合っているし
ハモってもいるんだろう。
手話だけがハモっていないならそれはやはり気持ち悪いことに。
人数がいるとその傾向は強くなる。
ブラー効果みたいに微妙なズレのままボーカルパートが続き
最後の決めみたいな部分でやっと揃う。

これは歌っているのではなく歌声を聞いてから動いているのだろうと
見ていてわかる。

リズム隊の基本になる軸の音に従い発声と同時に手が動くような…
それが手話歌でも「ボーカルとして参加」と言えるのではないだろうか。

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Home >> 手話歌考 >> 特殊効果に学ぶイメージング

特殊効果に学ぶイメージング

私は手話歌制作家として手話歌を作ります。
単なる翻訳ではなくイチから制作するのです。

そのためには歌詞を自分の中に取り込み、その歌の世界観を味わいます。
そして、そこから出てくるイメージを手話として“再現”し、組み合わせていく。

日本語で書かれた歌詞は私にとっては実は“参考程度”にまでなるのです。
本来は手話で歌詞を作っていくのと変わらないレベルになっているので、
作詞家さんが苦心して作っているのと同じことを私はやっています。

そして、これを人に教えるのにも苦労します。
私にとっては日本語で書かれた歌詞→イメージ化→手話再現→再構築で手話歌が完成しているのですが
指導ともなると手話になっているものを別言語である「日本語」で説明しなければなりません。

私も日本語は使えますのでこの手話歌の表現方法を英語で教えるとかそんなのと違ってまだマシな方ではあります。

私が指導する上でもどかしく思うのはイメージ力の乏しさです。
私がはっきりと言葉にするとそれに引きずられ、本来のイメージが伝わらないというのは毎回感じることです。

私はありとあらゆるものを見ようとします。
本で言うなら「絵本から文学書、学術専門書からエロ本まで」というと「エロ本」に何故か引っかかってくれるんですけど…
まさしく、オールジャンル読むと思っていただいて結構です。

映画もどちらかというとミリタリーな映画は好きですが、ヒューマンドラマも結構好きですし、ファンタジー物も良く見ます。
いわゆるRG12指定(暴力的描写、性的描写、社会問題的描写等による制限)であるのも普通に見ます。

私はいわゆるホラーは苦手なのですが、それでも一応見る時は見ます。
「苦手なのに何故見るか?」と聞かれました。

そこに表現の気付きがあるかも知れないから。なのです。
こうやって、手話以外の「言語化するには厳しい事象」を文章からの想像、映像を見ての表現から手に入れていく訳です。
昔は漫画より小説などの活字派でしたので同好の人と議論を交わし想像を膨らませたものです。
ハヤカワSFや角川ドラゴンブックスなどが多かった気がします。

今は映像の時代になり、本来は小説であったものが映像化されています。
みなさんもご存知のスターウォーズも本来ならアメリカのスペースオペラ(宇宙を題材にした冒険活劇)なのですが
実写化されてから多くの「見ればわかる」イメージが出来ています。

ですが、私のように手話へ移行させるためのイメージにつながらず、習う人も別物と見る人が多いのですね。
かつては、ろう高齢者の中ではあるあるだったのですが、お金がなくて映画館に通いまくるということが出来ないものですから
みんなでお金を出し合ってその中で選ばれた一人がじっくり見てみんなの前で再現するということをやっていたのですね。

どれだけ再現ができ、見てる人もまるで自分も見てきたように感じる。
そんな表現は非常に大切でした。
ろう者でも最近はそういう表現ができなくなってきています。
「レンタルで借りてみたら良いよ」などとすぐにでも見れるため、
映画の本編丸ごとを再現なんて物凄い人は非常に少なくなっています。

現在は私も色々と映像をやるんですが(基本は写真だけど、最近は動画も)
そんな中で素材集というものも最近出ています。

YouTubeで見れる作品から幾つか出してみましょう。














これらは全てCGでのエフェクトなのですが、他にもYouTubeでは「ヒーリング動画」で海の風景などがあります。
これを見ることも頭の中のイメージの引き出しを増やせることになるので、
たくさん見て自分の手で再現してみるというのをオススメします。

この記事を書くために調べてみるとつぐつぐ良い時代になったなーと思います。
本当は映像を真似だけじゃダメなんですけど、まずは真似てみて下さい。

実際私は観察に出かけることがあります。
自然に学ぶと同じ風景がないのでその風景を貪欲に取り込もうとしてしまいます。
この積み重ねがおそらく私のイメージ力の元となっているのでしょう。

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Home >> 手話歌考 >> 音楽の…???な部分。

音楽の…???な部分。

音楽の「どういうこと?」と思う部分がたまに出てくる。
例えば楽譜の中に“休符”があるとどうなるのか?ということ。

答え:演奏しない。

そりゃまぁそうなんだけどさ…ずっと休符の曲まであるんだそうで。
日本語で正しく認識しようと思ったら「間」というのが非常に理解しやすい概念だそう。

つまり、音楽が止まるのではなく流れている。
その部分の音は出てない。そういうことだ。

この部分、健聴者も聴覚障害者だろうと関係なく平等に音は出ていない。

だが、音楽は流れているということ。

手話歌において、歌詞がない=手話がないといってもいいんだが、
視覚表現である手話歌ではあまり長い間は「無い」ことになってしまう。
音はもちろん流れてはいるが、見えない。

例えば、ギターソロなどが入る場合は弾いているシーンが見える訳だ。
つまり、お客様からして、終わったとかそういうふうに思わず、「続いている」と見える訳である。

それに対して、CDなど生演奏ではない場合はスピーカーからの音によって健常者は音楽が流れているとわかる。
聴覚障害者の場合はどうするのか?わからない。

昔流行った、サウンドバー?や照明のアクションで音楽が流れているんだよと感じてもらわねばならない。

ハコならともかく、そうでもないところ(照明設備なし)であるとどうすればいいか悩む。

一番ダメなのは棒立ち。
せめてスイングしてほしい。

懐かしの映画…シガニー・ウィーバーの「天使にラブソングを」を見た。
ゴスペルとしてのリズムパートは身体をシェイクしている。
歌う時は思いっきりだけど、間奏などの時はシェイクだな。

ワルツな曲だとステップ踏むのも良いかも知れない。

歌に対しての想いを寸劇のように表現するのも良いだろう。

だが、これについて思うのは、イメージが掴めていないと大根役者になってしまう。

これから夏がくる。
砂浜を駆け出して海に向かうところとか、
線香花火の儚さとか、
そういうのをやってみるのは如何だろうか?と思わなくもない。

子供時代やアオハルな時代を忘れてしまうと表現しづらくなってくる。

だいぶ昔だがバスタードという漫画があった。
ヘビーメタルなバンド名などが国の名前だったりする剣と魔法の世界だ。
あの漫画が連載中の時は魔法を使える体裁で呪文を唱えてみたり。

魔法って現代科学にはありえない事になっているけれど、
効果などはきちんと科学に基づいて出来ている。

オカルトかも知れないが魔法陣というものが世界のあちこちにある。
ここにないものを呼び出そうとするならば魔法陣を敷くなり、念を込めるなりするだろう。
例え、それが実際に起きないものであったとしてもなりきることが大事なのではないか?
これは漫画バスタードにでてくる魔法障壁(バリヤー)の呪文の発動シーン。

詠唱:エレエレナムメイリン
    精霊よ 我が盾となり給え

覇者霊陣「ストライ=バー」

これで障壁が完成する。

よく考えればお経だって祓詞だって呪文じゃないか。
印だって結ぶし。
これを、嘘だの適当だの思ってない訳だ。
どういう意味かはわかっては居なくても有り難いものだだとか。

あり得ないものを信じてるということが出来て、想像ができないというのはおかしくないかな?

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