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目は口ほどに物を言う

最近、かつて作った過去作品の復習として、
改めての指導をしている。

その中で、やはり…と思えたことを書く。

そうです、今回はタイトルの通り「目」なんですね。

誰もが表情を持っている。
寡黙だとか無愛想だとか言われがちな人ですら様々な表情を見せる。

だが、不思議なことに「手話」学習者などは表情が非常に乏しく見えるのだね。
日本人は表情があまり変わらないと言われる。
実に「手話学習者」が集まる手話サークルなどではそれが顕著に出ている。

表情は「非言語コミュニケーション」である。
多くの人は自然に表情を顔に出している。
だが、手話の場合は物足りないと思うことが多い。
それは何故だろうか?

聴覚障害者で手話を使っている人の多くは表情豊かだ。
だが、聴者は乏しく感じる。

ある例をだそう。
笑顔でいるんだけど何か怖く感じる人がいる。
それは何故か?

「目が笑っていない」という言葉を聞いたりしたことはないだろうか?

手話表現は本当に「表情も込み」で完成する。
いくら笑顔であっても「目が笑って」いなければ何か怖く感じる。

手話歌とは限られた時間の中で心情などを演じる小芝居のようなものだ。

「泣け」といきなり言われてすぐに涙を流せるだろうか?
私は出来る。

「目は口ほどに物を言う」とは先人の言葉。
よく言ったものだと思う。

目には表情がある。
目の形を変えるという(見開いたり、半眼になったり)だけではなく、
ピント位置を変えていくようなことでも表情となる。

これはどうすればよいのか説明が難しいので手話講師でも視線までは教えても
「目の表情」までは教えない。
私も、どういう目をしているのか自分でも見えないので「こう!」とは言えない。

なので、結局は「イメージ」を作り、その世界観に入り込み、
その時その時の気持ちになるしかない。

現実は「悲しみ」、「切なさ」を抱いては居ない。
それでも、歌の間はその想いにならばければならない。

ドラマや映画のワンシーンで「感情」を演者は演じているだろう。
例えば大切な人を亡くして「号泣」するシーンがあったりすると思う。
その時、演者はそう都合よく大切な人を亡くしたりしてる訳ではない。
だが、それを実際に「そうなった」ように演じきる。

実際、ドラマや映画を見ていて感情の演技において“大根”な役者も居る。
アイドルなど役者ではない人をキャステイングしているときなどでは、
そういった“大根”ぶりが見え透いてしまう。

手話歌の場合は尺の短さもあっておざなりになりやすい。
その感情の部分は数十秒しか無いからなのだが。

だからこそ、手話の手の動きに加え、視線の振り方で終わってしまいやすい。
だが、想いというものは瞬間で出すことは出来、それを目の表情として出すことも出来る。

それが出来なければ本来の手話歌の心情描写が不足し、なにか違和感を感じる
そんな表現になってしまう。

指導していて思うのは「型」としてはそれなりに良く出来ていても
そういう「感情の“フリ”」で終わる場合が多い。
なりきらないと、演じきらないと伝える表現がやはり薄っぺらになってしまう。

手話歌に限らず、手話で会話をしている聴覚障害者の多くは割と熱演そのものな表情の豊かさがある。
手話学習者の皆さんも、是非そこに注目してほしいと思う。

この方は「NCIS」というアメリカでのテレビドラマシリーズに出てくる登場人物の一人なのだが
このシーン、目が何かを、心情を演じていることに気がつくことが出来るだろうか。

 

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Home >> 手話歌考 >> イメージの引き出しを増やそう。

イメージの引き出しを増やそう。

「イメージが豊かですね」とよく言われる私です。
また、「どうやってここまでイメージ力をつけましたか?」とも聞かれる私です。

一つは修羅場の数々でしょうかね。
色々な苦しいこと、嫌なことを味わっていると、最初は「攻撃的」になるように思います。
子供の頃の私はそうだったように思います。

また、障害ゆえに「キレイゴト」を浴びてきたということもあるでしょうね。
事実はぜんぜん違うのに…ですよ。

ある時から物事をシミュレーションする癖が出てきました。
確か、「アメリカ海兵隊のマネジメント」に関する本を読み、それを実践するようになってから
幾つかのパターンを常に考えるようになっています。

これをキープし続けるにはイメージ力が大事でもあります。

エグい話は確かに知らないほうが幸せだとは思います。
ですが、私は逆にそういう内容を進んで知ろうとしました。
一回知っておけば後は似たようなものなので。
何度も見る必要はなくなる。

ナショナル・ジオグラフィックなどで実際にあった出来事を当事者視点でドキュメンタリーとして番組があります。
最近の例だと「ブラックホーク・ダウン」(2001年)の元となった実話
1993年のソマリア内戦における「モガディシュの戦い」のドキュメンタリーです。
当事者の心理状況など複雑だった内容が解説されていました。
本人の話であの当時を語られるその一言一言の重み。

確かに「戦争はんたーい」とか叫んでる人の言葉より、はるかに「やるもんじゃないよな」って感じます。
現実を知ることは辛いことも多いですが、知って自分の人生に活かすことはそれ以上に価値のあることだと思います。

また、アニマルプラネットのように自然の迫力、厳しさ、美しさすら感じるそういう番組もイメージの助けとなります。

喜怒哀楽といった感情というのは本当はたった4つで表されるような単純なものではありません。

特に「怖い」という心理。
手話では「寒い」と「怖い」は似ています。

信じられないでしょうけど私は「ホラー映画」は苦手なんです。
ですが、それにも分類があって、モンスターパニックとかそういう系はまだ大丈夫で、
「幽霊」だの…見えない系の怖さは強烈に嫌いです。
そして、「人間の狂気」がテーマになっているのも大嫌いです。

しかし、最低一回はその手のを見ているので「イメージをする」モトは持っています。
「怖い」を表現するときは、歌の内容にもよりますが「追い詰められる恐怖」や
「不安に陥る恐怖」をリアルにイメージして再現します。

嫌いなら見なきゃ良いのにと言われますけど、一回見ておくとストックが増えるので、
手話表現に幅が出るのですね。

もちろん、どちらかといえばコメディ映画みたいに面白いのが好きですけど
作品の中に「悲しみ」も隠れていたりするんですね。

これはただ笑ってみてるだけではスルーしがち。

実話系というべきなのか…実際に起きた話をベースに作られた映画では
登場人物の心理描写が豊かに描かれていて、非常にイメージの参考になります。

手話歌って、実際のところ視覚表現で表現していますので、
イメージ力を日々磨くことが大事なのですね。

風景も実はそうで、普段なら素通りしてしまうようなところに「美しさ」が隠れていたりします。
歌って風景、情景を歌っているものが多いですが、そんな中にもやはり人間が歌うということで
心理描写が入ります。

キラキラしたものだけが大事なのではありません。
失ってはじめて気がつく大事なものもあれば、
闇に堕ちて初めて見える光の美しさもあります。

料理で疑問に思ったことがあります。
私は今は亡きお祖母ちゃんのおはぎが好きなのですが
あんこを練っている時、砂糖を入れるだけではなく塩も入れる。

料理をやっている人なら大抵知っているし、やっているかと思うのですが、
カレーの隠し味にコーヒーだとかチョコレートだとかみたいに
想定外のものを入れて…何故かとんでもなく美味いということあると思います。

素材の味を活かすために隠し包丁を入れたりするのもありますよねぇ。

背景が暗ければ暗いほど、明るい色は更に引き立つという例もある。

イメージも同じで、ちょっとしたエッセンスというかスパイスというか
そういうモノを入れるだけでそれは雄弁に語りだします。

そのためには研究が必要で、観察も大事。
そして、引き出しをたくさん持つこと。

今からでも遅くはありません。
固定概念を捨てましょう。
枠にハマるのをやめましょう。

イメージの世界ではあなたは何者にもなれる。
それを思い描き、再現してみましょう。

目の前で起きた事件を目撃した人はその内容を他人に話す時
それはもう、雄弁に語ります。

逆に聞いた話だと同じ内容でも伝わりが弱く感じる。

イメージを再現するというのは「見てない話でも見てきたように話す」という
そういう事ではなかろうかと強く思うようになりました。

そうなると見えてないものは伝わりが弱いので「ふーん」と流されがちな話になりませんか?
見てきたつもりで話す人って「マジかよ!!!」と言わせるパワーを持っていると思いませんか?

イメージ力が豊かな人はちょっとの動きでもそこにないのにあるように感じさせる動きをするように思います。

物は試し。
やってみましょう。

 

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Home >> 手話歌考 >> ベース音の探し方

ベース音の探し方

先日、ある方と軸音について話をしてました。
要は音源の最初から終わりまで正確なビートを刻んでいる音なんですね。

これについてまたまた悩みどころが出てきました。

前回の記事でも手話歌はボーカルであるとバンドを例に挙げました。

いわゆるドラムがワン・ツー・スリー・フォーとタイミングを図り、演奏開始
それにベースが続き、ギターが続く。
そして頃合いを見てボーカルが歌い始めるシーンがありますでしょう。

この場合軸音とは何かといいますとドラムが担当したということになりますね。
前回の記事では書けていませんでしたが「THE ALFEE」さんはベース1本にツインギターの3ピース構成。
リズム隊楽器はベースですから軸音はベースの櫻井さんになります。

ここまではいい。私にもすんなりとわかる。
困ったのはフォークギターでの弾き語り、ピアノの弾き語り。

いわゆる和音(コード)を弾いているためベース音はどこだ?なのです。
私自身が掴める音が厳しい部分が多いのでこの演奏時に軸音になっているはずの音が掴みづらいのです。

演奏の音と歌声を完全に分割して聴く事ができないので、複雑怪奇…。
きついものになると歌声だと思った音がピアノやギターのあるコードの音。
演奏だと思ったら実は歌声。

これは補聴器の特性上仕方がないのかも知れませんが、
私が掴めた音を仮に「A音」と「B音」の流れだとします。
リズムを刻んでいる音が「B音」だとすると、私が「A音」に合わせてリズムを取った場合
自分でやっていてもリズムが合わず、「気持ち悪い」リズムの中で歌うことになってしまう。

特に最近の音楽は歌詞の速さが途中で速くなったり遅くなるのも多く
歌声を聴かせる音楽だと音声の音が強いので歌っていて迷子になることもしばしばです。

自分でやってて掴めてないなと痛感するのは気づいたら他の人よりも「行が遅れている」とか
「早すぎる」ことですね。
歌が始まっていないのに歌い始めてるなんてのはまさしくそれです。

自分の主軸に置いていた音が歌の音ではなかった…ということですね。
そこは、CD音源ですとスピードが変わらないのでひたすら聴き込んでタイミングを覚える、
或いは、軸音を探して掴んでおくという方法しかありません。

これは本当なのかわからないけれど、アコギやピアノのように一つの楽器で終わる系統のものは
“自分リズム”でやっていることも多いそう。
つまり、演者のリズムでどんなようにも変わってしまう。

もちろん上手い人は途中でリズムがぶれないように一回決めたリズムは維持するようにしている
何回やってもらっても同じような音が出て、同じようなリズムでまとまるのは演者のリズムがぶれていない証左なのでしょう。

逆に言えばクラシック曲ではよくあることなのですが、
音符の並びは決まっててそれに忠実に演奏する。
ですが指揮者の解釈によって同じ曲なのに違って感じる。


上記はアマゾンのリンクから引っ張ってきたものですが、「G線上のアリア」のみをまとめたCDです。
確かこれ、、私も持っている。

全部「G線上のアリア」でありながら全部違う曲に感じるほど幅広い表情を見せます。

私が子供の時によく聴いていたレコードに「ベートーベン交響曲第5番“運命”&シューベルト交響曲第8番“未完成”」があるのですが
オケはベルリン・フィルで、指揮者はカラヤンでした。
機会があってロンドン・フィルだったか別のオケで指揮者もカラヤンじゃない版を聴いたんですけど
思いっきり記憶にある音とは違いました。

即ち指揮者の解釈によって、演奏のタイミングなどがだいぶ変わるという例でしょう。
楽譜は同じなのにねぇ。

音楽は突き詰めれば難しく面白いとも思えるんですけど、自分がやるとなると苦労だらけですね(^_^;)
 

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