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手話歌でボーカルするということ

さてさて、暑さまだまだ厳しい折、台風が連続でやってきています。
異常な気象状況ですね。
北海道では連日35度くらいのところが一気に11度まで下がったそうで
B級映画にあるような「氷河期来襲」みたいなイメージ(・・;)

さておき、表題の通り、「手話歌でボーカルするということ」について書きたいと思います。

楽器も色々な表情を出す素晴らしさがあるのですが、やはり多くの人はボーカルに目が行くのではないでしょうか。
ちなみに私はベースを触るのでバンドともなるとベースに目が行っちゃいます。

ギタリストだとギターかなぁ?

さて、ボーカルは歌が武器ということで声に表情をつけますね。
アカペラで流しても「あ、〇〇さんや!」とわかるような人も居ます。
聴こえない私にとっては声で誰が歌ってるかは全くわからんのですけどね(汗)

auのCMで有名になった「三太郎」シリーズにて「海の声」が生まれました。
曲はBEGINが作り、桐谷健太さんが歌っています。

私はこの歌を手話歌制作しました。
本当にその世界観を歌いきるなら桐谷健太さんが歌ったほうが良いのですね。
ですが、桐谷健太さんは私のように手話を駆使できない…
と、なると、私が桐谷健太さんになったつもりで歌うことになります。

まるで桐谷健太さんが私に乗り移ったようになり、
彼が声で歌うように私が手話で歌う。
これが手話で歌うということになります。

手話歌は声で歌っているグループの添え物ではありません。
むしろ、ツインボーカルの一翼を担います。

私にとって手話歌制作というのは元ある歌詞を単に手話化するのではなく、
そのイメージを出来るだけ元の音源の尺に合わせてイチから作ります。
なので、日本語から手話を考えるというアプローチは意味をなしません。

また、完成した手話歌は、もし「中島みゆき」さんの曲であったならば
手話歌を歌う人も「中島みゆき」さんになっていただきたい。

私は手話歌を制作するのに割と時間はかかるほうです。
カラオケなどでぶっつけ本番で手話歌にするのとは違うんですね。
きっちりと自分の中にイメージを降ろさないといけない。

深く深くその世界の中に入り込み見えているイメージを再現する。
この時点でイメージの参考程度に歌詞の日本語を使っているようなもので
手話そのものはイメージの中にあります。

まずはその歌手さんになったつもりで歌って欲しい。
しかしながら、歌う人はご本人ではないのでなりきったつもりで歌っても
その人そのものにはなれない。

その部分がどうしてもあり、それが特徴的であるからこそカヴァー曲として
再びまた違った歌い方の曲だと認識されます。

わかりやすい例えが「いい日旅たち」でしょうか。
この曲は谷村新司さんが作り、山口百恵さんが歌いました。
セルフカバーとして谷村新司さんもこの歌を歌っています。
時代的に私は谷村新司さんの歌い方をよく見るので、谷村新司さんのつもりで歌うところがあります。
でも、生で聴いていた世代では谷村新司さんの声ではないのですね。
あくまでも山口百恵さんの声のイメージ。

つまり歌詞もメロディーも同じでありながら別物として認識されているのです。

そもそも、山口百恵さんが歌ったときは19歳の女の子。
山口百恵版「いい日旅たち」(1978年)のときは谷村新司さんは30歳の男性。
セルフカバーシングルを谷村さんが歌ったのは2008年。
なんと60歳の男性の声な訳でして違いすぎるのは当たり前。

年齢も、男女の違いも、歌い方も全部違う…それがまた人生の積み重ねなのですね。

ソプラニスト(音階はソプラノ)で歌っていた人でも年をとってメゾソプラノの音階になる人も居ますから、
色々なものが全く同じという訳にはいきません。
男性だって若い人はボーイソプラノという声がありますけど声変わりをもって声が低くなります。
よく通るバリトンの声なんてのがありますね。

ですが、声が変わるだけで、実際に歌い方まで大きく変わるわけではない。
と、いうことは手話歌でボーカルをやるというのは歌手の歌い方に“手話”で近づける必要もあります。
モノマネで声がそっくりという方も居ます。
しかし、手話は視覚言語で声の質においては関係ないんです。
むしろ手の動きで声のニュアンスやイメージを近づける必要があります。

私も好きなデビット・ボウイ…彼はドラッグに近い場所に居たため、
修羅場をくぐっています。
なので、あんな歌い方を、あんな歌詞を作らはる…と感じるわけですね。

同じくエリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘヴン」…亡くなった息子さんを思い浮かべて歌っています。

即ち、そういう厳しい辛い経験がこんな歌い方になるのだと考えれば、
手話歌にする時、その経験をイメージする必要があります。

歌詞の日本語を追いかけて手話歌をやっている人になんか軽いな…と感じることがあります。
イメージが伝わってこないのと、日本語を追いかけているだけに見えるからです。

映画、ドキュメンタリーなど体験した人の生の声や映像での表現を少しでも知れば、
日本語は引き金となりイメージが膨らみます。
あとは、それを手話で“再現”するだけ。

声のボーカルを食ってしまうほどの表情豊かな手話歌表現があってこそ、
イチ作品として生き、ボーカルとして視覚的に強く訴えることが出来るのです。

出来ることならばJAZZセッションのように声の圧倒的なパワーと
手話の強烈な刺激が紡ぎあい高まるのが理想です。

東京スカパラダイスオーケストラのようにたくさんの楽器の一人ひとりが最高の音を出し合い、
セッションを組むことによって最高の作品になる。

東京スカパラダイスオーケストラは現在メンバーが9名で、ゲストさんが声で歌うことも多く、
10人でやるような感じになるのですが、それぞれが喧嘩せず、ゲストさんもグイグイ前に出ていい。
そんなグループです。
つまりは、お客さんが最高と思えばそれでいい。
その時にゲストさんも気持ちいいと思ってくれたら良い。
決まれば自分らも気持ちいい。

優先順位がそもそも違うのですね。

手話歌がメインボーカルで、声がリードボーカルというくらいのパワフルな仕上がりが見たい。
私はまだ、それを見ていません。

近いうちにそれを見たいですね。

 

nightfox-hq | comments(0) | - | pookmark | category:手話歌考
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