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言語脳

最近、手話に関して考察をまとめている。
一つは人間は考えるとき「何語」で考えるか?である。
本当は、見たままをそのまま頭に思い浮かべるのだが、
そのプロセスから直ぐに「言語化」するというケースが多い。

日本語でモノを考える…などはわかり易い例。

私も例にもれず、日本語でモノを考える方だとは思う。
何故ならば目に見えるものの多くが日本語などの“活字”であることが多いからだ。

しかし、風景や事象そういったものに関しては「日本語でモノを考えない」

見たままを再現しようとすると「日本語」が邪魔になる。

物事を「日本語化し、表現する」ことは一つの方法ではあり、同じものを他者に伝えるには必要な作業だと思う。
本来、人類はそうやって言語を編み出してきた。
だが、「日本語にない」情景、事象においては「日本語」では冗長になり「短い1語」で表現ができない。

面白い対比だなと思ったのは日本語脳と英語脳の違い。

基本的に英語は主語がありその次に動詞がある。

I Sleep with the cat.
直訳すると「私は猫と寝る」
絵を書くとき自分が寝ているシーンを描く、そばに眠る猫を描く。
冠詞が“The”であるのでいつも決まった猫…飼い猫だろう。

英語だと聞いたまま絵を描いていっても大きな変化はない。
(絵心の有無は別(笑))

ところが日本語で「私は猫と寝る」ということを文字通りに描くためには最後まで聞かなければ描けない。
つまり、私は猫と一緒に居るという絵は描けるだろうが、「それからどうした?」がわからない。
予測して「私は猫と遊ぶ」という絵を描いたとき「寝る」となって慌てて描き直す。
そういったケースが起きやすい。

今回短い文章を出したが、普段はそんなに短い言葉ばかりで会話をしているわけではない。
と、いうことは日本語は最後の最後で予想を裏切ることが出来るのだ。

「私は猫と寝ない」→最後まで聞いたから「猫と一緒に寝ない」ことがわかる。

I dont sleep with cat.

英語だと最初の「I dont sleep〜」で寝ないことがはっきりしている。

こういう、日本語脳と英語脳の対比を考えて手話はどうか?と考えると
「猫と一緒に寝る」シーンをそのまま再現するので手話脳はまさにイメージのまんま。

例文が非常に短いのでどっちの脳で見ても同じようなイメージとなっているんだが…
もし、これが非常に長い文章だったらどうなのだろう?

手話を使うにあたって私は「手話という言語は一つしかない」と常々言っている。
その幅に関しては「イメージ重視」から「日本語文法重視」までの幅がある。

高齢者の場合は教育の関係で日本語語彙が少なく「イメージ重視」表現を主とする。
ここで誤解してほしくないのは、日本語語彙が少ないだけであって知能レベルが低い訳ではないのだ。
現に「イメージ重視の手話」であれば彼らは雄弁に物語る。

逆に日本語教育が進んでいる弊害か、「日本語寄りの手話」に浸ってしまっているからこそ、
世代分断が起きる。

学校教育を受けることは重要ではある。
しかし、「イメージ能力」を徐々に失っていくのが多いように思う。
思春期を中心に「厨二病」なる言動をとる児童がいる。

彼らは「定められたルール」を設定し、「それに従い」、「イメージの中」で暮らす。
イメージの中では「魔法」を使えたり、「特別な任務」を帯びていたりと現実ではありえない事が“真実”であると振る舞う。

ここで注目していただきたいのは「イメージの中で“真実”であるように振る舞う」ということ。

見えないモノを見て、聴こえぬものを聴く。
それを再現するには日本語では難しい。

何故ならそのイメージは彼らの中にあるからだ。

手話歌制作家をやっていると「日本語」を直訳すると「おかしな手話表現」になってしまうことが度々ある。
それは当然だろう。
何語であっても文章とはイメージではなく、言語を音声化または筆記化したものに過ぎないのだから。

手話は本来言語として一つであり、これをそのまま再現することはイメージである。
イメージすることと手話表現することは重要な関係にある。
そして、多くの場合イメージを手話表現にそのままするほうが容易い。

文章にするには、その言語化する必要があり、日本語なり英語なりとする。
その上で筆記や音声とするのだ。

厨二病らしく「炎の魔法」を私がやってみるとする。
最初は手のひらに火がつき、メラメラと燃える。
段々とその火は炎となり、火炎なり、轟炎なりと大きくなる
使っている手話は火の動きを再現しているだけだ。

その表現の違いを日本語に変えているから火だの炎だのと言葉が変わるだけ。

燃え盛る炎に包まれたような表現をしているのに「火がついている」と言っても間違いではない。
規模に合わせて言葉を変えていってはいるが、あくまでそれは日本語でありその言葉の表す意味と
その表現をしている人の中の頭のイメージとは違っていることは普通にあると思っていただきたい。

ただ、表現力のある方はそこにないものがあるようにみせることが出来る。
パントマイムなどはまさしくそれである。

状況の説明は出来ても、恐らくその言葉でイメージは伝わらないだろう。
見たままを感じ、感じたままを見せる。

手話脳というものがあるとすれば「言語に左右されない“イメージ”を先に思い浮かべる」人であろうか。
日本語に振り回されている人が居るとしたらそれは「イメージ力」が足りない。
手話をやる上で困難を感じたならそれはイメージではなく言葉に引っ張られている。

まずはイメージを思い浮かべる訓練をするといい。
モノを決めつけずに観察するのも大事。
じっくり観察していると思わぬ動きなどもあるのだから。

 

nightfox-hq | comments(0) | - | pookmark | category:言語考
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