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手話通訳とはなにか。

過日、「日本手話」と「日本語対応手話」を分けようとする動きについて述べた。
今回は「手話通訳者」の視点から「手話通訳の“有り様”」について書きたいと思う。

まず、手話通訳者とは文字通り“通訳を行う人”であるのだが、幾つかの違いがある。

例えば「手伝い程度」の通訳というものがある。
これは例えば日本語話者と外国語話者が意思疎通を計れない状況下で、ちょっとした手助けをするもの。

こちらは私が経験したもので考えると…
観光地をちょっと外れた場所で迷子になっていた外人観光客と地域住民のやり取りを私が通訳したことがあった。
もちろん筆談と身振りだが。

もう一つはオンラインでのゲームの世界で、全世界展開中のゲームだと自分のクラン(一族やチームと言っても良い)の中に
英語やスペイン語、ドイツ語、韓国語など多くの言語が使用される。
翻訳機能も持ちろん付いてはいるが、「スラング」、「略語」には対応しきれない。
日本人プレイヤーと海外勢とのコミュニケーションの不一致も起きやすい。
なので、ちょうどクランリーダーがイギリス人で英語ベースでの会話が多いため、
私が英語で発言や日本語翻訳を行っていた。

当然ながら通訳者ではない。
たまたま分かるからクランがスムーズに動くようにするため翻訳をしただけ。

これを手話で考えるならば、手話を多少は使える人が「発言された内容を手話にして」私に言ってくれるような感じだろうか。
「事故によりこのあとの列車は遅延致します」というアナウンスを「電車が遅れるって。事故で」と言ってくれるような感じだろうか。

上記のケースだと本当は「何処で?何が起きた?何処から何処まで?」など詳しいアナウンスだと思う。
かいつまんで「事故で電車が遅れている」と通訳をする。
ここにはアナウンスの内容を全部通訳しているわけではない。

講演などで話されている内容を「通訳」するには予め原稿を用意されている場合もあれば、ぶっつけ本番の場合もある。
原稿が用意されている場合は難しい表現となる部分(文字通りに表現すると意味が通らない部分)を前もって検討しておくことが出来る。

ぶっつけ本番であると「何をどのように話すのか」がわからないため、通訳者は聞こえてきた通りに「通訳をする」しかない。
この場合は「通訳者」のスキルが非常に求められ、「今の表現では伝わらない」とわかった瞬間“訂正”を入れる。
ただ、訂正を入れるということは話の内容がその分進んでしまうので間に合わないことも発生する。

講演の話者の話す速さが速い場合も非常にしんどい。

ここで、考えてもらいたいのは日本手話といわれる表現方法だと講演時にある程度聞いて把握してから通訳になる。
つまりは要約した表現になりがち。

仮に「私のアメリカ生活」というテーマで2時間話すとしよう。
「いつ、何処から何処まで行って、何処で暮らし、何が起きたか」を要約した表現で通訳されたとする。
2時間話しているのに実際の手話通訳での表現時間は30分程度となってしまう。
本当はもっと細々とした内容を語っているんだが、通訳者が「どういう話?」を理解し、「つまり…こういうことがあった」と訳す。
このような通訳では細かい部分は全く伝わらない。

日本語の発言通りで通訳していくと細々した部分も全て通訳できるが、
話の途中で通訳者が「あ、これ意味が反対になってしまった」などと気づく場合もある。
(当然ながらここで“訂正”を入れる)

手話通訳の幅の広さは非常に広く、対話の通訳であればわかりやすく噛み砕いたり、表現を変えたりもする。
本当は病院などで通訳して頂いたとき、まずは先生の発言をそのまま通訳していただいて、
自分がわからないとき自分から「つまり、どういうことですか?」と尋ね、
“先生の噛み砕いた説明”を通訳していただくのが正しい。
(通訳者が勝手にそれをすると通訳ではない)

また、対話の通訳は通訳者も追いつかない場合は「ちょっと待って下さい」と話を一時停止することが出来る。
したがって、その人にとってわかりやすい表現で通訳を行うことが出来る。

これが講演など一方的に話されるような場面、通訳対象者に幅がある場面ではそれは非常に難しい。

ろう者にも国語力の差や、イメージ力の差がある。
その差は「手話通訳者」にもある。

ろう者側が「日本語に沿った表現で通訳して欲しい。」に対しては「手話通訳者の多く」はそれが出来るであろう。
(手話通訳者も日本語話者であるため)

逆に「イメージに重点を置いた表現で通訳して欲しい。」に関しては相手にもよるので、それが出来る人はそう多くは居ない印象。

私には非常に印象深かった経験があって「手話サークル」に顔を出したとき
「手話通訳者として活躍している人」がある高齢ろう者への説明に非常に苦労されていた。
私がその通訳の方と目があい“助けて〜”という目をされたのでフォローに入った。

なるほど、手話メインで会話をされており、イメージで手を動かす表現をされる人。
日本語に沿うような手話表現での説明ではわかりにくい方だった。

私は経緯や流れをある程度把握したあと、「脳内スイッチ」を切り替え「イメージ重視の手話表現」を使用し始めた。
(いわゆる“ろう者手話”といわれたりするもの)
通訳者が普段の私の話し方と違うのを見て心底驚いていた。
しかも、恐らく長い時間やり取りしたであろう会話が、あっさりとその高齢ろう者の方に伝わり、笑顔になられた。

手話通訳者としてもこれが出来る方は私が知っている範囲でも数える程度しか居ない。

ろう者であり、手話をメインに使っている人であっても「日本語に依存している方」は
そういった高齢のろう者の方とは話が通じない事が多い。

こういう例もある。
ろう協の社会見学で「ろう高齢者施設」へ訪れたときのことだ。
ろう高齢者の体験談をご本人の言葉で話される時があった。
ろう・聴取り混ぜて30人ほどその時は居ただろうか。
彼のお話をそのまま理解できたのは2名ほどの「ろう高齢者」、私と相方くらい。
聴者と若めのろう者は全滅。
彼の話を解説してくださった施設の方の話でやっと理解するという状況。

手話通訳者自身もずっと修行だと思うが、ろう者自身も修行が大事。
世代を越えた交流ももちろん大事。

今は教育環境も良くなってきており「国語力」の高いろう者も増えている。
だが、その反面、イメージ力が弱くなっていると感じることが時たまにある。

私は手話歌制作家で「歌詞」の持つ意味合いなどをどう表すかに毎回苦労している。
歌詞通り直訳すると意味が通らない手話表現になることも多い。

音楽というのは文字を追いかけるものではない。
いろいろな要素が含まれている“作品”を楽しむものだ。

従って、聴こえるから出来るものではなく、「何度も練習」を重ねないと歌えない。
むしろタイミングさえ掴めてしまえば声に左右されない分、ろう者のほうが歌いやすいかもしれない。
手話を知らない子どもたちのほうが覚えるの早いのはそれが理由かもしれないですね。

なにはともあれ、手話通訳に携わる人にもそれぞれの苦労があり、
通訳をしている間は「如何に伝わるか?」を考えながら通訳している。

そこに日本語対応だとか日本手話だとかいった不毛な話は持ち込むべきではないと思う。
会話の中で「ろう者的な手話表現」を当たり前に使っている方でも「講演」という場では
「日本語対応手話」みたいな表現になるのだから。

ろう者も手話通訳をやる聴者もこのような区別…「これはダメ」、「こっちが良い」などと言っていると
本来の目的を忘れてしまう。(何を通訳してもらってるの?)

大事なことは伝える・伝わることだ。
これは絶対に忘れてはならない。

 

nightfox-hq | comments(0) | - | pookmark | category:言語考
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