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旧友に会えた日

先日「パプリカ」をテスト撮りして、YouTubeにアップしました。
私が歌っています(笑)

さておき昨日は古き友に再会した。
高校の時に、自分以外のろう者に会うことがない…同じくらいの世代の。

その当時、大阪にはろう学校が3つあった。
これを全部行ってみようと思ったのが始まりで、
埋まったら、近畿全部行ってやろうと思った。

近畿と言っても広いんだが…一応全部埋めた♪
非常に長い付き合いの「ギタリスト」の大ちゃんもその当時知り合った。
最近、子供のこともあって支援してた「ムッチー」も大阪うめうめ時代に仲良くなった。

今回は和歌山だ。

青年部時代に再会して以来なので結構経つ。

今うちの相方も法人後援会の役員として頑張っているんだが、
実は私もかつては色々と支援活動してたんだよね。

施設の話を聞いてて、ふと思った。
私は、よく話が長いと言われる。
その理由…わかった。

普段から人に会わないから、会えた時は嬉しくてついつい長話になってしまう。
嫌いな人だったらサッとスルーするけど、長話してしまう相手って「好き」なんだねぇ。

私と高齢者施設に居る高齢者の方々と比べちゃいけないんだけど
聴覚障害者向けの施設が必要だと思う気持ち…自分はよく分かる。

私は特に手話に拘る訳ではないけども、やっぱり話せる相手がほしいと思うのは同じだから。

ましてや学校に行けなかった高齢者の方などは手話のみ。
字も読めないという人も居る。
大阪や京都、神戸とかだったら全く字が読めないという人はそんなに多くない印象。

和歌山や滋賀とか言い方悪いけど「田舎」になると若いうちから農業やら林業やら「仕事」を先にやっている人が多い。
なので、字が読めない、書けないはあまり問題にならない…そういうケースもあります。

そういう生き方をしてきた人が、老人ホームに入って、かつての仲間たちとはあまり会えなくなる…
その寂しさは察して余りある。

周りに人はいても手話がわからない、使えない人ばかり。

随分昔の話だが、尼崎方面の老人ホームに或る聴こえないお爺さんが居た。
手話の使える、ちょっとした通訳も出来る方に「助けて」と連絡があり会いに行ったわけだ。

身寄りも居ない、手話が通じない、筆談も無理。
通訳者を連れてきても通じないので途方に暮れてたという状況。

私、子供の時から本好き。
言葉というものに強い想いを持ってる。
自分で言うのも何だが想像力も自信あり。

かんたんな手話なら多少は通じるので(名前とか挨拶など)
そこをきっかけに話しかけてみた。

確かに依頼してきた方が言うように手話が普段見慣れてる感じのものではなかった。
相手の表情や手の動きから…見えてきたものをやり取りしているうちに
私は“彼の手話”を理解し、それを使えるようになってた。

広島は呉の生まれで、工場で見様見真似で働いていた話だとか、
自分の友達が死んでしまったとか、
彼は嬉しかったのだろう…それは雄弁に語り始めた。

私はそれを見ながら、声で依頼者の方に彼のいわんやとすることを通訳。

この経験があるからなのかわからないが、スイッチが一度入れば自分の言葉が切り替わる
実際、普段使うような手話ではなかったとあとになって言われた。

写実的な表現に日本語によらない文法。

スイッチが元に戻ると再現しろと言われても無理だが、
よく考えれば、ベトナム人のろう者が日本に来たとき
ベトナム手話で話してたはず。(それもホーチミン手話)
普通にわかるし、普通に会話してた。

在米時でも同じで、ASLというよりはCL型に分類されるであろう手話表現を駆使して
誰とでも話した。
国際手話にちょっと近いかも知れない感じだね。

勿論、帰国する頃にはASLを普通に使ってたけど。

言葉を理解したければ想像力が必要だと本気で思ってる。
筆記された文章じゃない。
会話する能力。

恐らく今自分が手話歌制作家になってるのも、
言葉にこだわり、表現に拘っているからだろう。
歌は日本語どおりやると意味がわからないとか反対の意味になったりとか…
見る人に国語力を求めてしまう。

手話を知らない人には通じない歌って…(汗)
手話であることと音声であることで壁を作りたくない。

歌詞カードと全く同じに読めなくていい。
想いや、情景を感じて欲しい。

そんなことを帰り道で考えてしまった。

に、してもかつて、いわゆるヤンキーとしてはしゃぎまわってた同じ年の友人が
方や、施設の要となり、方や歌うたいになってるとはね。

人生ってわからんもんだわぁ苦笑

 

nightfox-hq | comments(0) | - | pookmark | category:言語考
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