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手話歌を作るにあたって。

最近、いろいろな場所で手話歌を見かけるようにもなりました。
私のようにほぼ完全に聴き取りが出来ない状態で音楽を演る人は非常に少ないですね。

これは私の経験ですが、作詞を行うにあたって、「語彙力」が重要だと思っています。
言葉にするのが難しい想いを如何に言葉にするか。
国語力も問われますし、相応しい言葉を選出するには語彙の数が非常に大切になります。

日本語には声に出して読みたくなる言葉というものが溢れています。
これをどこまで引き出しを用意できているか…重要です。

次に、「韻」と言いまして、リズムに対応する並びというのがございます。
こちらは「漢詩」等で考えると決まった数の漢字の並びが繰り返されるという“制限”です。
李白や杜甫の漢詩は学校で習ったこともありましょう。
ですが、これには隠れた言葉…「日本語」として読むための「送り仮名」的なものが付いています。
中国語で発音するとそのような送り仮名は関係ありません。

「レ点」等は意味を理解するためにあり、単に「音」で発声する場合は使いません。

更に、私は歌というものは5分間のミニストーリーだと思っています。
起承転結があったり、感情としての喜怒哀楽(正確にはその細分化されたもの)が歌には含まれます。

まだあります。
情景であり、心情であり、幻想であり、空想であり、比喩もあります。
それは背景と言ってしまえばその通りですが、それは歴史的背景もあれば、
何気ない日常や、かつての自分だったり、多岐に渡ります。

例えば「扶桑歌」というものがあります。
ご高齢の男性ならば「警視庁抜刀隊」で存じ上げている方もいらっしゃいますでしょう。

勇ましいリズムに朗々と歌い上げるのが特徴ではありますが、この歌は明治維新の頃にまで遡ります。
日本の初期の警察官は元武士(士族)が多いので剣の使い手=警察官へと登用された過去を持ちます。

沖縄民謡で「芭蕉布」という歌がありますが「芭蕉布」とは何か?
これは尚氏琉球王朝時代に税金の一つとして反物を献上したという過去があります。

演歌の中でも海…それも冬の海をテーマにしたりしているものがありますが
「板子一枚下は地獄」という厳しい漁師の生き様を「カッコつけて」歌うものなのですね。

同様に、「女歌」、「艶歌」とされるものは今で言うラブソングで、
禁断の恋ほど燃え上がるもの…と言わんばかりの強い思いを歌っております。

手話歌にするときは目を閉じて「その歌の風景が目の前に現れる」くらいのイメージ力が必要です。
そして、これを如何に表現するかが肝。

文章を追いかけて手話に置き換えた程度では薄っぺらになってしまいます。
ですので、私は日本の歌を英語カヴァーするような気持ちで、手話カヴァーを作っています。
カヴァーともなると原曲通りなのは中身だけで文面でいうと全然別物と言っていいくらいまで考えます。

イチから作詞をしている感覚に近い。
アタマに降りてきたら非常に早く作れてしまったりするのですが
それが成立するのは私自身がその世界にいち早く入れただけでして
多くの場合は何時間、何日もかけて練っていきます。

そして、「音を覚える」
歌詞は覚えてて当たり前なんですが、その上に音を覚えていきます。
この声が歌い出しの一番始めだとかこの音の次に2番が始まるだとか
様々なタイミングを何十、何百回も聴き続けやっと体に入れられます。

ただ、場所によっては音が変わってしまうなど、生歌だと状況によっては音を拾えないことも。

歯がゆいことだらけなのですが、長い時間をかけて鍛え上げていく
その姿を見た人は“職人”と仰っしゃります。

ほんまかいな…と自分でも思ったんですが、
刀匠が鍛え上げた一振りの業物はひたすらに鍛えに鍛えた一品。
そう考えるとあながち自分のやっていることは歌という素材を元に
手話歌としての業物になるよう鍛え上げる作業の連続です。

どんな時でも「観察を怠らず」、「再現をしようと試みる」その繰り返しもありますし、
風景、写真、映画(映像技術)CGなどあらゆるものが私にとってはヒントの一つです。

こうやって改めて振り返ってみると日々が研究であり鍛錬なのかも知れませんね。

さて、新しい試みの幾つかが私を待っています。
頑張って仕上げていこうと思います。

 

nightfox-hq | comments(0) | - | pookmark | category:手話歌考
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