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聴覚障害者の言語取得について【その2】

さてさて、普通校にて教育を受けてきた私です。
ただ一つ完全に聴こえる友人らと勉強していたとは言えない部分があります。

小学校時代は基本的に現学級での授業メインで、たまに居残りで勉強していたくらい。
中学校時代は地元の中学校がたまたま「難聴学級」を持っており、摘出授業と確か言っていたと思うのですが
英語や数学、国語などがここで学ぶ形でした。
実は私の小学時代は隣の校区に「難聴学級」をもつ小学校がありました。
私の市では小学校に1校、中学校に1校と「難聴学級」、「特別学級」がありました。
そこに通いたい生徒は特例で「越境入学」することになります。

私の幼馴染は確か7中学区でしたけども私の居る1中に来ていましたし、
後輩にも確か10中校区でしたが小学校時代から越境入学していて1中卒になった人がおります。 多くの後輩がこういう越境入学する場合もあれば、地元の学校で摘出授業などの“配慮”を受けながら通っていた人も居ます。

他市や他県ではどうなのかは流石にほとんど情報掴んでいませんが、
概ね似たような感じだとは聞いております。

上記はあくまで「ろう学校(現:聴覚支援学校)」以外のケースですのでお間違えなきよう。

当時、ろう学校は大阪市内に2つ、堺市に1つありました。
大阪市立ろう学校(現:大阪府立中央聴覚支援学校)
大阪府立生野ろう学校及び大阪府立堺ろう学校です。
それ以外にも生野ろう学校の高等部(高校に充当)として大阪府立生野高等ろう学校がありました。
今は大阪府立だいせん聴覚支援学校に統合されたようですが。

私の時代では普通の幼稚園などに通う子と
兵庫県に「こばとろう学校」なる幼稚部(幼稚園に充当)
各ろう学校の幼稚部のいずれかに早期教育として通う子がいました。

私の場合ですと普通の幼稚園に通いつつ「リオンクリニック」→「ゆうなぎ園」と通い、
そこで発声訓練や聴能訓練を受けていました。

小学校時代は毎週火曜日に市内の施設にて「発声訓練」を受けていましたね。

発音に関してはたまに「あなたの発音はよくわかります綺麗ですね。」と言われることがあるのは
このように長い訓練期間を受け続けてきたからと思います。

相方ですと、ろう学校の幼稚部からずっと通っていたそうですから
また違った教育環境に居たということになるでしょうか。

いまでこそだいぶ改善されたとは聞きますが、
私と相方は6歳離れていてそこから前後2〜3年ほど位しかなので
私を中心に考えると上はまぁ3つ上くらい、下は9〜10下くらいまでが実体験というか身近の教育環境です。
ですので、現時点ではどうか?に関しては不明瞭な部分があることを先にお断りしておきます。

ろう児の言語取得に関しては非常に大きな開きがあると振り返るとそう思います。
まずは“どの時期に”聴力を失ったかというのが大きく影響があります。

私の例でいうと明確にその頃失ったのか?とは断言はできませんが、
少なくとも聴覚障害と認定され手帳を発行された年齢をベースに考えると5歳。
通常、5歳というのは音の概念もわかってますし、声でのコミュニケーションもとっています。
私は両親が音楽好きだったので幼い頃から音楽は聞いていたほうだったと思います。

対して相方は発見が遅かったため生まれつきなのかどうかが不明瞭なところがありますが、
デフファミリーということもあって手話によるコミュニケーションから始まったとイメージしてください。

さて、私と相方の現状に関しては少々特殊なケースと思いますが、語彙力を相当数持っていると言われるときがあります。
それは単純な問題でして、自らの学びの幅に左右されると私は思います。

健聴者でも「私は機械が苦手なので」という方がいらっしゃるように
ろう者でも高齢者ですがスマホなどを駆使して情報取得を貪欲に行っている方も居ます。

学ばない選択をすると語彙力などは当然ながら広がっていきません。
かといって、昔のろう者は国語力がないから…という言葉もよく言われてましたけども
「人間力」というか「生活力」が非常に高い方はたくさんおられています。

ここで考えてみていただきたいのは「モノの意味がわかっている」ことと「モノの名前を表せること」は別の問題ということです。

ここに魚がいるとします。
「何の魚かわからないけど食える魚」と「この魚はアジである」という違い
どちらもそれを食すことは出来るでしょう。

これは単に食べられる魚だけど名前は知らないのと名前も知っているの違いだけしかありません。

「アジ釣りに行かないか?」と「魚釣りに行かないか?(対象はアジ)」やることは一緒です。

この辺りは必ずしも「言葉を知らない=語彙力がない」イコール「生きていけない」ではないということがわかると思います。
残念ながらろう者の問題点は「話が通じない=使い物にならない」と思われがちなところでしょうか。
ですが、これは相手さんと会話というコミュニケーションが成立しなかっただけで「能力がない」ということにはなりません。

自らが何かを欲し、考え遂行する能力は長らく生きていれば持つことは出来るのです。
ただ、そのためには学びの場が必要になってきます。

都会育ちの子よりも田舎育ちの子のほうが世の中の事象…即ち生きる術は知識や体験としてしっかり持っている。
それは育った自然などの環境が先生ということもありますでしょう。

ただ、無人島ひとりぼっちみたいな生活をしているとコミュニケーションを取る必要がなくなりますので
生きてはいけるけども語彙をそこまで必要としなくなるでしょうね。

逆に言えば今の社会のように沢山の方々と一緒に生きていくという流れであれば
どうしてもコミュニケーションを取る必要がありますし、語彙数も必要となっていきます。

この現代社会今この瞬間にも新しい“言葉”が生まれている。
これらを手に入れるには元となる言葉というか概念が必要です。

nightfox-hq | comments(0) | - | pookmark | category:聴覚障害関連
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