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新しいプラン。(出会いに感謝)

本日、福祉展などで何度かお目にかかっている方と直接お話する機会が得られました。
その方は視覚障害のミュージャン(キーボード奏者)でございます。

まだ、初めて言葉をかわし…ということで彼の口を読むのは慣れてなくて難しいのですが、
今、仲良くさせて頂いている視覚障害の御老体(といっても非常に男前で元気なお方でございます)との経験や、
過去に関わらせて頂いた“視覚障害者”に対する手話歌指導の経験から、
いずれはあけすけに話も楽しめるようになるかと思います。

私は手話歌を作り、歌う演者でもあります。
そして、彼は音を覚え、再現するカタチ(いわゆる耳コピ)で演奏し、歌う方です。

お互いにわからないものはありますが、逆に分かる部分もある…それを感じられたひとときでございました。

私は聴こえていた頃の時代を少々覚えているという立場で、
なおかつ、現時点ではほぼ、手話が第一言語というような聴覚の状態です。

かたや、彼は見えていた時のことは覚えていない…完全な失明状態であります。

彼にとっては人混みは誰かの声や音の中に居ますが、その目で確認することは出来ない。
私にとっては人混みは誰かがいることはわかりますが、何を話されどんな音が出ているかはこの耳では確認できない。

まさに対極といっても良い関係であります。

ヘレン・ケラー女史が話した言葉に
「視覚を失うことはモノとの繋がりを失う。聴覚を失うことは人との繋がりを失う。」と、あります。

ですが、確かに互いに「失う」ものがあるとはいえ、新しく「得る」ことも出来るはずです。

特に、私が目指しているものは「福祉」ではありません。
それぞれの障害の有り様を理解して頂くその流れは「福祉」からかもしれません。

ですが、音楽やエンターティメント…パフォーマンスの世界では「福祉」は本来関係がありません。
例えば音楽という楽器を演奏したり、歌をうたうことは「福祉」ではありません。
確かに移動やセッティングにおいては手助けも必要でしょう。
しかし、演奏している間はその時間は「自由」なのです。

私も手話歌という表現としてはまだ時代が浅いモノを表現する人ではありますが、
古くは舞踊にはじまり、現在ではダンスというものが身体表現としてあります。

日本での古いものですと、「日本舞踊」、「神楽舞」、「ソーラン節などの民俗舞踊」がありますし、
海外であればネイティブアメリカンの「ソウルダンス」(あえてそう言っておりますが、様々なシーンで踊りがあります)

視覚障害だとどうかというと、古くは「雅楽」、「琵琶」、「三味線」や「太鼓」に始まり、
海外ではスティービー・ワンダーのようなミュージャンがおられます。

違うものではありますが、同じ時間を共有するという空間は昔のほうがあったのでは?と思うことも。

私には彼の見る風景は見えず、
彼には私の聴く音色は見えない。

それでも、何かが出来る…とは信じてきた私ですから、
それは彼に対しても同じです。

聞くところによると彼は楽譜が読めない分、耳コピで数々の曲を身につけたとのこと。
そうなると、ある意味、私が目指している「誰かの歌を手話カヴァーする」というしっかりした作品への取り組みと
同じことをされていると言っても過言ではありますまい。

演奏しているところの動画も見せて頂きましたが、もしかすると私も彼に合わせて歌えるかも知れない。
どんどん想像の膨らむ、良き出会いでありました。

これからものすごく楽しみです!!!
出会いに感謝♪


 

nightfox-hq | comments(0) | - | pookmark | category:コンセプト
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