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手話歌への想い

私が幼い頃からを知っている方が亡くなられた。
何度かお宅にお伺いさせて頂き、色々な話をしたものです。
その事自体は過去記事に書いてあるのでそちらを参照下さい。

その方が私に言った「あなたは手話歌を歌わないの?」という言葉。
確かに私は作る人でパフォーマーではない。
ただ、ここ最近、ご存命の間に見て頂きたかったと思うことはある。

今、不思議に思うのは感覚が研ぎ澄まされつつあるようで、
聴き分けが出来なかったはずの楽曲の歌い出しとかわかる時も増えてきた。
もう一つはひとつの歌を完成させるのに何十回も聴き直す+練習で聴くからだと思う。

もしかするとVocalとしてもやれるかも知れないとは思う。
そのためには当然ながら音に合わしていく練習が欠かせないが。

今、自分がやってることに加えて、実際の音楽の場(歌う・演奏する)に出ることも
これからは考えても良いかも知れない。

また、最近「中島みゆき」さんの「ヘッドライト・テールライト」今までの自分なら手話歌は難しいと思っただろう。
でも、知らない間に出来るようになってる。

意味を捉えて手話のみに拘らず、柔軟に紡ぎあげるテクニックが自分の中でようやく形になってきたようだ。
そらま、20年以上やっていればそれくらいにはなってくれなきゃ困るんだけど(汗)

自分がパフォーマーをやらないのは多分何処かで表役ではないと思ってる部分と、
何処まで表現できるのかという想いにブレーキが掛かっていたのかも知れない。

ここまで出来るようになると、色々な人とコラボして欲しいと思う自分も出てきた。
勿論、私自身が歌わなくても構わない。

私の持つ「イズム」の継承者が歌ってくれたらそれでも構わない。

色々なことがあったけど、やっぱり自分は手話歌が好きなんだねぇと思うし、
自分にしか紡げない表現を表に出ると言うならばそれは誰が歌おうと構わない。

そんな風に考え始めると段々気持ちが楽になってくる。
自分の気が付かないところで何かを重荷に感じたり、うざいと感じたりしたのが減っていくにつれ
精神的に楽に♪

人があまり歌わないだろう歌を歌えるようにしていけるのも自分だと思えば
それこそ、自分が止まらない限りなんぼでも…だしねぇ。

自分で洋楽を訳したこともあるし、手話のほうが楽だと思うこともある。
それも日本語という枠に縛られないで居られるようになったのかも知れない。

例えば自分の好きなアーティストで「THE ALFEE」があるけども、
歌詞に英語も混じったりする。
これを「難しいと思うこと」が減るならばそれは紡げるってことだし
歌えるってことだろう。

それは作れる・歌える歌が増えると同意だし、
制限が減るってことだろうなぁ。

久々に何かが吹っ切れた気がする。
頑張ろう♪

nightfox-hq | comments(0) | - | pookmark | category:私事
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