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洋楽を手話にする試み

最近、依頼された楽曲に「Tears in Heaven/Eric Clapton」がある。
もちろん歌は英語である。

過去の記事に私が訳してみたもの…手話歌用日本語?があったりする。
完全にこれがベストだとは言わないけれど、良いチャレンジをさせてもらったと思っている。

思えば、私はどちらかというと洋楽が好きだったりする。
先日、天野SHOさんにお会いするその前にFLAMEのマスターと話したとき
「君の好きなジャンルは何?」と聞かれてちょっと困った。

カテゴリー分けがあまり良くわかってないから…(汗)
とりあえず、音楽は何でも聴くが一番好きだったのは「Heartbreaker/Led Zeppelin」からかな?と答えた。

中学くらいからだったと思う。
カセットテープの時代に小遣いを貯めて「Led Zeppelin」のテープを幾つか。

同級生は「光GENJI」や「中山美穂」とかそういうのの方。
そんな中で自分だけがハードロック。

今でこそ手話歌を作る関係上、「日本語歌詞」である邦楽をたくさん作ってきたが
これまた、演歌や歌謡曲、J-POPなど幅広い。

歌ならではの表現…国語表現の妙に惹かれ社会人をだいぶ過ぎてから大学に入学。
再入学もして10年居て中退した。
専攻は国文学、日本語日本文学科でした。

手話の世界に入りもう数十年…気づけば手話の言語的可能性などに注目し、
割と“独特”と言われるような表現を紡いできた。

上記、「Tears in Heaven」にて自分としてはまだまだ納得はできてないが
ひとまずは完成させた。

私のテーマソングのようにクルマで何度も流しているのは「Blaze Of Glory/Jon Bon Jovi」
最近の自分の心境に合わせて「The Man Who Sold the World/David Bowie」
他にも幾つかあるがこれらの楽曲を手話で歌うならば音声言語の違いを超えられるのではないか?
これが、私がかねてからずっと温めていた密かな計画。

参考になったのは「埴生の宿」がイギリス民謡であったり、「歓喜の歌(交響曲第9番)」、「Amazing Grace」の日本語カヴァー。
「手話は言語」であるという視点がひとつ、私や相方が経験した「異国交流」(?)による母国の音声言語にとらわれない「国際手話」という考え方から手話歌もまた音声言語の壁を超えられるのでは?と考えた。

まだ準備段階ではあるが何か一つ作ってみようと思う。
元の歌が英語なのでアクセント的な部分や、ニュアンス的な部分に手話をどうするか苦心する部分があることは十分に予想される。
しかし、やってやれないことはないよねという根拠なき自信があるのも事実。

これは「オータム・イン・ニューヨーク」というJAZZナンバーの雰囲気を彷彿させるセントラルパークの写真

 

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Home >> 手話歌考 >> 学びと体験

学びと体験

手話歌は簡単なようで簡単ではない。
歌っているところを見ると簡単に見えるだろう。
だが、産みの苦しみは非常に難産と言わざるを得ない。

苦心点は幾らでも出てくるが簡単に出来たと思えることは今までに一度もない。
仮にすぐに出来たとしよう。

その点を切り取ると「簡単やね」と思ってしまうだろう。
しかし、そうではない。

日々の積み重ねや観察、研究が今自分の力になっているからだ。

誰だったかが言った。

30秒でとても美しい絵を描いた。
そして彼はその絵を渡しながら言った「その絵は100万ドル」です、と。

「そんな、この絵を描くのにあなたは30秒しかかかっていないではありませんか」

そう言われた彼は苦笑いしてこう言った。
「お嬢さん、それは違う。30年と30秒だ」

彼の名は、パブロ・ピカソ。

彼がここまでの作品を作るのに30年という年月を費やしてきた。
故にたった30秒で仕上げた作品であってもその裏には30年の積み重ねがある。

私も…とパブロ・ピカソ氏とは比べ物にはならないが、
長く、追求してきた、積み重ねてきたものがある。

今回、「パプリカ/米津玄師」を手話歌化するにあたって、たたき台(暫定版)のみを作り、
残る仕上げはTSOの皆さんにやっていただいた。

これを通して私が何に拘り、何に苦心し、何を目指しているのかを少しでも感じて頂けたらとの想い。

金額では計れない普段見せず、見えないものが私にはある。

ただ、こういう話もあるんだよね。
「値段がついてしまうとその時から芸術は陳腐化する」と。

本当は金銭的な苦労を考えずに済む環境を作れたら良いのだけど。
そういう訳にはいかないから少しでも売っていく。
生活あるしね(汗)

手を抜かないがために悶え苦しむ。
それを繰り返して今の自分が居る。

国語力や想像力、観察力、その他必要と思うものは何でも取り入れていきたい。
ある意味欲張りかもしれない。
未だにまだ足りないと思っているんだから。

ちなみに「パプリカ」…手話は勿論のこと今回は「キュードスピーチ」も取り入れた。
聴覚障害児が言語訓練(発声)するに当たって使われるのがこれ。
「らるらりら」のところだけでも「キュードスピーチ」を使って練習中の子どもたちに
「あ、僕が(私が)使ってるのと同じ〜♪」と思ってほしくて。

いずれ、どこかでお目にかけることもあるかも知れない。
その時は楽しんでもらえると嬉しいな。


 

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手話歌を作るにあたって。

最近、いろいろな場所で手話歌を見かけるようにもなりました。
私のようにほぼ完全に聴き取りが出来ない状態で音楽を演る人は非常に少ないですね。

これは私の経験ですが、作詞を行うにあたって、「語彙力」が重要だと思っています。
言葉にするのが難しい想いを如何に言葉にするか。
国語力も問われますし、相応しい言葉を選出するには語彙の数が非常に大切になります。

日本語には声に出して読みたくなる言葉というものが溢れています。
これをどこまで引き出しを用意できているか…重要です。

次に、「韻」と言いまして、リズムに対応する並びというのがございます。
こちらは「漢詩」等で考えると決まった数の漢字の並びが繰り返されるという“制限”です。
李白や杜甫の漢詩は学校で習ったこともありましょう。
ですが、これには隠れた言葉…「日本語」として読むための「送り仮名」的なものが付いています。
中国語で発音するとそのような送り仮名は関係ありません。

「レ点」等は意味を理解するためにあり、単に「音」で発声する場合は使いません。

更に、私は歌というものは5分間のミニストーリーだと思っています。
起承転結があったり、感情としての喜怒哀楽(正確にはその細分化されたもの)が歌には含まれます。

まだあります。
情景であり、心情であり、幻想であり、空想であり、比喩もあります。
それは背景と言ってしまえばその通りですが、それは歴史的背景もあれば、
何気ない日常や、かつての自分だったり、多岐に渡ります。

例えば「扶桑歌」というものがあります。
ご高齢の男性ならば「警視庁抜刀隊」で存じ上げている方もいらっしゃいますでしょう。

勇ましいリズムに朗々と歌い上げるのが特徴ではありますが、この歌は明治維新の頃にまで遡ります。
日本の初期の警察官は元武士(士族)が多いので剣の使い手=警察官へと登用された過去を持ちます。

沖縄民謡で「芭蕉布」という歌がありますが「芭蕉布」とは何か?
これは尚氏琉球王朝時代に税金の一つとして反物を献上したという過去があります。

演歌の中でも海…それも冬の海をテーマにしたりしているものがありますが
「板子一枚下は地獄」という厳しい漁師の生き様を「カッコつけて」歌うものなのですね。

同様に、「女歌」、「艶歌」とされるものは今で言うラブソングで、
禁断の恋ほど燃え上がるもの…と言わんばかりの強い思いを歌っております。

手話歌にするときは目を閉じて「その歌の風景が目の前に現れる」くらいのイメージ力が必要です。
そして、これを如何に表現するかが肝。

文章を追いかけて手話に置き換えた程度では薄っぺらになってしまいます。
ですので、私は日本の歌を英語カヴァーするような気持ちで、手話カヴァーを作っています。
カヴァーともなると原曲通りなのは中身だけで文面でいうと全然別物と言っていいくらいまで考えます。

イチから作詞をしている感覚に近い。
アタマに降りてきたら非常に早く作れてしまったりするのですが
それが成立するのは私自身がその世界にいち早く入れただけでして
多くの場合は何時間、何日もかけて練っていきます。

そして、「音を覚える」
歌詞は覚えてて当たり前なんですが、その上に音を覚えていきます。
この声が歌い出しの一番始めだとかこの音の次に2番が始まるだとか
様々なタイミングを何十、何百回も聴き続けやっと体に入れられます。

ただ、場所によっては音が変わってしまうなど、生歌だと状況によっては音を拾えないことも。

歯がゆいことだらけなのですが、長い時間をかけて鍛え上げていく
その姿を見た人は“職人”と仰っしゃります。

ほんまかいな…と自分でも思ったんですが、
刀匠が鍛え上げた一振りの業物はひたすらに鍛えに鍛えた一品。
そう考えるとあながち自分のやっていることは歌という素材を元に
手話歌としての業物になるよう鍛え上げる作業の連続です。

どんな時でも「観察を怠らず」、「再現をしようと試みる」その繰り返しもありますし、
風景、写真、映画(映像技術)CGなどあらゆるものが私にとってはヒントの一つです。

こうやって改めて振り返ってみると日々が研究であり鍛錬なのかも知れませんね。

さて、新しい試みの幾つかが私を待っています。
頑張って仕上げていこうと思います。

 

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