スポンサードリンク

Home >> 手話歌考 >> イメージの引き出しを増やそう。
Page: 1/36 >>

イメージの引き出しを増やそう。

「イメージが豊かですね」とよく言われる私です。
また、「どうやってここまでイメージ力をつけましたか?」とも聞かれる私です。

一つは修羅場の数々でしょうかね。
色々な苦しいこと、嫌なことを味わっていると、最初は「攻撃的」になるように思います。
子供の頃の私はそうだったように思います。

また、障害ゆえに「キレイゴト」を浴びてきたということもあるでしょうね。
事実はぜんぜん違うのに…ですよ。

ある時から物事をシミュレーションする癖が出てきました。
確か、「アメリカ海兵隊のマネジメント」に関する本を読み、それを実践するようになってから
幾つかのパターンを常に考えるようになっています。

これをキープし続けるにはイメージ力が大事でもあります。

エグい話は確かに知らないほうが幸せだとは思います。
ですが、私は逆にそういう内容を進んで知ろうとしました。
一回知っておけば後は似たようなものなので。
何度も見る必要はなくなる。

ナショナル・ジオグラフィックなどで実際にあった出来事を当事者視点でドキュメンタリーとして番組があります。
最近の例だと「ブラックホーク・ダウン」(2001年)の元となった実話
1993年のソマリア内戦における「モガディシュの戦い」のドキュメンタリーです。
当事者の心理状況など複雑だった内容が解説されていました。
本人の話であの当時を語られるその一言一言の重み。

確かに「戦争はんたーい」とか叫んでる人の言葉より、はるかに「やるもんじゃないよな」って感じます。
現実を知ることは辛いことも多いですが、知って自分の人生に活かすことはそれ以上に価値のあることだと思います。

また、アニマルプラネットのように自然の迫力、厳しさ、美しさすら感じるそういう番組もイメージの助けとなります。

喜怒哀楽といった感情というのは本当はたった4つで表されるような単純なものではありません。

特に「怖い」という心理。
手話では「寒い」と「怖い」は似ています。

信じられないでしょうけど私は「ホラー映画」は苦手なんです。
ですが、それにも分類があって、モンスターパニックとかそういう系はまだ大丈夫で、
「幽霊」だの…見えない系の怖さは強烈に嫌いです。
そして、「人間の狂気」がテーマになっているのも大嫌いです。

しかし、最低一回はその手のを見ているので「イメージをする」モトは持っています。
「怖い」を表現するときは、歌の内容にもよりますが「追い詰められる恐怖」や
「不安に陥る恐怖」をリアルにイメージして再現します。

嫌いなら見なきゃ良いのにと言われますけど、一回見ておくとストックが増えるので、
手話表現に幅が出るのですね。

もちろん、どちらかといえばコメディ映画みたいに面白いのが好きですけど
作品の中に「悲しみ」も隠れていたりするんですね。

これはただ笑ってみてるだけではスルーしがち。

実話系というべきなのか…実際に起きた話をベースに作られた映画では
登場人物の心理描写が豊かに描かれていて、非常にイメージの参考になります。

手話歌って、実際のところ視覚表現で表現していますので、
イメージ力を日々磨くことが大事なのですね。

風景も実はそうで、普段なら素通りしてしまうようなところに「美しさ」が隠れていたりします。
歌って風景、情景を歌っているものが多いですが、そんな中にもやはり人間が歌うということで
心理描写が入ります。

キラキラしたものだけが大事なのではありません。
失ってはじめて気がつく大事なものもあれば、
闇に堕ちて初めて見える光の美しさもあります。

料理で疑問に思ったことがあります。
私は今は亡きお祖母ちゃんのおはぎが好きなのですが
あんこを練っている時、砂糖を入れるだけではなく塩も入れる。

料理をやっている人なら大抵知っているし、やっているかと思うのですが、
カレーの隠し味にコーヒーだとかチョコレートだとかみたいに
想定外のものを入れて…何故かとんでもなく美味いということあると思います。

素材の味を活かすために隠し包丁を入れたりするのもありますよねぇ。

背景が暗ければ暗いほど、明るい色は更に引き立つという例もある。

イメージも同じで、ちょっとしたエッセンスというかスパイスというか
そういうモノを入れるだけでそれは雄弁に語りだします。

そのためには研究が必要で、観察も大事。
そして、引き出しをたくさん持つこと。

今からでも遅くはありません。
固定概念を捨てましょう。
枠にハマるのをやめましょう。

イメージの世界ではあなたは何者にもなれる。
それを思い描き、再現してみましょう。

目の前で起きた事件を目撃した人はその内容を他人に話す時
それはもう、雄弁に語ります。

逆に聞いた話だと同じ内容でも伝わりが弱く感じる。

イメージを再現するというのは「見てない話でも見てきたように話す」という
そういう事ではなかろうかと強く思うようになりました。

そうなると見えてないものは伝わりが弱いので「ふーん」と流されがちな話になりませんか?
見てきたつもりで話す人って「マジかよ!!!」と言わせるパワーを持っていると思いませんか?

イメージ力が豊かな人はちょっとの動きでもそこにないのにあるように感じさせる動きをするように思います。

物は試し。
やってみましょう。

 

nightfox-hq | comments(0) | - | pookmark | category:手話歌考
Home >> 手話歌考 >> ベース音の探し方

ベース音の探し方

先日、ある方と軸音について話をしてました。
要は音源の最初から終わりまで正確なビートを刻んでいる音なんですね。

これについてまたまた悩みどころが出てきました。

前回の記事でも手話歌はボーカルであるとバンドを例に挙げました。

いわゆるドラムがワン・ツー・スリー・フォーとタイミングを図り、演奏開始
それにベースが続き、ギターが続く。
そして頃合いを見てボーカルが歌い始めるシーンがありますでしょう。

この場合軸音とは何かといいますとドラムが担当したということになりますね。
前回の記事では書けていませんでしたが「THE ALFEE」さんはベース1本にツインギターの3ピース構成。
リズム隊楽器はベースですから軸音はベースの櫻井さんになります。

ここまではいい。私にもすんなりとわかる。
困ったのはフォークギターでの弾き語り、ピアノの弾き語り。

いわゆる和音(コード)を弾いているためベース音はどこだ?なのです。
私自身が掴める音が厳しい部分が多いのでこの演奏時に軸音になっているはずの音が掴みづらいのです。

演奏の音と歌声を完全に分割して聴く事ができないので、複雑怪奇…。
きついものになると歌声だと思った音がピアノやギターのあるコードの音。
演奏だと思ったら実は歌声。

これは補聴器の特性上仕方がないのかも知れませんが、
私が掴めた音を仮に「A音」と「B音」の流れだとします。
リズムを刻んでいる音が「B音」だとすると、私が「A音」に合わせてリズムを取った場合
自分でやっていてもリズムが合わず、「気持ち悪い」リズムの中で歌うことになってしまう。

特に最近の音楽は歌詞の速さが途中で速くなったり遅くなるのも多く
歌声を聴かせる音楽だと音声の音が強いので歌っていて迷子になることもしばしばです。

自分でやってて掴めてないなと痛感するのは気づいたら他の人よりも「行が遅れている」とか
「早すぎる」ことですね。
歌が始まっていないのに歌い始めてるなんてのはまさしくそれです。

自分の主軸に置いていた音が歌の音ではなかった…ということですね。
そこは、CD音源ですとスピードが変わらないのでひたすら聴き込んでタイミングを覚える、
或いは、軸音を探して掴んでおくという方法しかありません。

これは本当なのかわからないけれど、アコギやピアノのように一つの楽器で終わる系統のものは
“自分リズム”でやっていることも多いそう。
つまり、演者のリズムでどんなようにも変わってしまう。

もちろん上手い人は途中でリズムがぶれないように一回決めたリズムは維持するようにしている
何回やってもらっても同じような音が出て、同じようなリズムでまとまるのは演者のリズムがぶれていない証左なのでしょう。

逆に言えばクラシック曲ではよくあることなのですが、
音符の並びは決まっててそれに忠実に演奏する。
ですが指揮者の解釈によって同じ曲なのに違って感じる。


上記はアマゾンのリンクから引っ張ってきたものですが、「G線上のアリア」のみをまとめたCDです。
確かこれ、、私も持っている。

全部「G線上のアリア」でありながら全部違う曲に感じるほど幅広い表情を見せます。

私が子供の時によく聴いていたレコードに「ベートーベン交響曲第5番“運命”&シューベルト交響曲第8番“未完成”」があるのですが
オケはベルリン・フィルで、指揮者はカラヤンでした。
機会があってロンドン・フィルだったか別のオケで指揮者もカラヤンじゃない版を聴いたんですけど
思いっきり記憶にある音とは違いました。

即ち指揮者の解釈によって、演奏のタイミングなどがだいぶ変わるという例でしょう。
楽譜は同じなのにねぇ。

音楽は突き詰めれば難しく面白いとも思えるんですけど、自分がやるとなると苦労だらけですね(^_^;)
 

nightfox-hq | comments(0) | - | pookmark | category:手話歌考
Home >> 手話歌考 >> 手話歌でボーカルするということ

手話歌でボーカルするということ

さてさて、暑さまだまだ厳しい折、台風が連続でやってきています。
異常な気象状況ですね。
北海道では連日35度くらいのところが一気に11度まで下がったそうで
B級映画にあるような「氷河期来襲」みたいなイメージ(・・;)

さておき、表題の通り、「手話歌でボーカルするということ」について書きたいと思います。

楽器も色々な表情を出す素晴らしさがあるのですが、やはり多くの人はボーカルに目が行くのではないでしょうか。
ちなみに私はベースを触るのでバンドともなるとベースに目が行っちゃいます。

ギタリストだとギターかなぁ?

さて、ボーカルは歌が武器ということで声に表情をつけますね。
アカペラで流しても「あ、〇〇さんや!」とわかるような人も居ます。
聴こえない私にとっては声で誰が歌ってるかは全くわからんのですけどね(汗)

auのCMで有名になった「三太郎」シリーズにて「海の声」が生まれました。
曲はBEGINが作り、桐谷健太さんが歌っています。

私はこの歌を手話歌制作しました。
本当にその世界観を歌いきるなら桐谷健太さんが歌ったほうが良いのですね。
ですが、桐谷健太さんは私のように手話を駆使できない…
と、なると、私が桐谷健太さんになったつもりで歌うことになります。

まるで桐谷健太さんが私に乗り移ったようになり、
彼が声で歌うように私が手話で歌う。
これが手話で歌うということになります。

手話歌は声で歌っているグループの添え物ではありません。
むしろ、ツインボーカルの一翼を担います。

私にとって手話歌制作というのは元ある歌詞を単に手話化するのではなく、
そのイメージを出来るだけ元の音源の尺に合わせてイチから作ります。
なので、日本語から手話を考えるというアプローチは意味をなしません。

また、完成した手話歌は、もし「中島みゆき」さんの曲であったならば
手話歌を歌う人も「中島みゆき」さんになっていただきたい。

私は手話歌を制作するのに割と時間はかかるほうです。
カラオケなどでぶっつけ本番で手話歌にするのとは違うんですね。
きっちりと自分の中にイメージを降ろさないといけない。

深く深くその世界の中に入り込み見えているイメージを再現する。
この時点でイメージの参考程度に歌詞の日本語を使っているようなもので
手話そのものはイメージの中にあります。

まずはその歌手さんになったつもりで歌って欲しい。
しかしながら、歌う人はご本人ではないのでなりきったつもりで歌っても
その人そのものにはなれない。

その部分がどうしてもあり、それが特徴的であるからこそカヴァー曲として
再びまた違った歌い方の曲だと認識されます。

わかりやすい例えが「いい日旅たち」でしょうか。
この曲は谷村新司さんが作り、山口百恵さんが歌いました。
セルフカバーとして谷村新司さんもこの歌を歌っています。
時代的に私は谷村新司さんの歌い方をよく見るので、谷村新司さんのつもりで歌うところがあります。
でも、生で聴いていた世代では谷村新司さんの声ではないのですね。
あくまでも山口百恵さんの声のイメージ。

つまり歌詞もメロディーも同じでありながら別物として認識されているのです。

そもそも、山口百恵さんが歌ったときは19歳の女の子。
山口百恵版「いい日旅たち」(1978年)のときは谷村新司さんは30歳の男性。
セルフカバーシングルを谷村さんが歌ったのは2008年。
なんと60歳の男性の声な訳でして違いすぎるのは当たり前。

年齢も、男女の違いも、歌い方も全部違う…それがまた人生の積み重ねなのですね。

ソプラニスト(音階はソプラノ)で歌っていた人でも年をとってメゾソプラノの音階になる人も居ますから、
色々なものが全く同じという訳にはいきません。
男性だって若い人はボーイソプラノという声がありますけど声変わりをもって声が低くなります。
よく通るバリトンの声なんてのがありますね。

ですが、声が変わるだけで、実際に歌い方まで大きく変わるわけではない。
と、いうことは手話歌でボーカルをやるというのは歌手の歌い方に“手話”で近づける必要もあります。
モノマネで声がそっくりという方も居ます。
しかし、手話は視覚言語で声の質においては関係ないんです。
むしろ手の動きで声のニュアンスやイメージを近づける必要があります。

私も好きなデビット・ボウイ…彼はドラッグに近い場所に居たため、
修羅場をくぐっています。
なので、あんな歌い方を、あんな歌詞を作らはる…と感じるわけですね。

同じくエリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘヴン」…亡くなった息子さんを思い浮かべて歌っています。

即ち、そういう厳しい辛い経験がこんな歌い方になるのだと考えれば、
手話歌にする時、その経験をイメージする必要があります。

歌詞の日本語を追いかけて手話歌をやっている人になんか軽いな…と感じることがあります。
イメージが伝わってこないのと、日本語を追いかけているだけに見えるからです。

映画、ドキュメンタリーなど体験した人の生の声や映像での表現を少しでも知れば、
日本語は引き金となりイメージが膨らみます。
あとは、それを手話で“再現”するだけ。

声のボーカルを食ってしまうほどの表情豊かな手話歌表現があってこそ、
イチ作品として生き、ボーカルとして視覚的に強く訴えることが出来るのです。

出来ることならばJAZZセッションのように声の圧倒的なパワーと
手話の強烈な刺激が紡ぎあい高まるのが理想です。

東京スカパラダイスオーケストラのようにたくさんの楽器の一人ひとりが最高の音を出し合い、
セッションを組むことによって最高の作品になる。

東京スカパラダイスオーケストラは現在メンバーが9名で、ゲストさんが声で歌うことも多く、
10人でやるような感じになるのですが、それぞれが喧嘩せず、ゲストさんもグイグイ前に出ていい。
そんなグループです。
つまりは、お客さんが最高と思えばそれでいい。
その時にゲストさんも気持ちいいと思ってくれたら良い。
決まれば自分らも気持ちいい。

優先順位がそもそも違うのですね。

手話歌がメインボーカルで、声がリードボーカルというくらいのパワフルな仕上がりが見たい。
私はまだ、それを見ていません。

近いうちにそれを見たいですね。

 

nightfox-hq | comments(0) | - | pookmark | category:手話歌考